うじゅらの映画的生態記録

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カポーティ  梅田ガーデンシネマにて

capote

 1959年,一見静かで平穏なカンザス地方で起こった家族4人惨殺事件を作家トルーマン・カポーティがノンフィクション小説『冷血』として書き上げるまでの経緯を追った,カポーティの伝記的映画。
 本来,人間としてのカポーティは社会的弱者である。親の愛情を知らずに育ち,外見的特長やゲイである事実により,非常に誤解を受けやすい。「誰も本来の僕を見ようとしない」と言いながら,一方では,自分を着飾り,過度に派手な言動や振る舞いをする。他者の目に脅え,他者に理解してもらえない哀しみを抱えつつも,自我を保つ為に他者を見下すことによって自身を支えている彼。
 カポーティの前に現れた犯人ペリー・スミスは,彼と同じように不幸せな幼少期を送り,恵まれない人生を歩んできた人間であったことで,ふたりは無意識にお互いを理解者だと感じたのではないか。しかし,ふたりを引き合わせたのは,残忍な殺人事件とそれを小説化し成功を得ようとするカポーティの野心だ。だから,彼は犯人ペリーを懐柔する意図で「僕たちは友人」という言葉を選んだつもりだったが,そこには彼の無自覚な愛情が見え隠れする。あくまでもカポーティは犯人ペリーを小説の題材として利用するという口実で何度も監獄に出向くけれど,ペリーとの会話では自分について嘘をつかず,すべてを話し分かち合う。ただ一点,小説のタイトルと内容について以外は。心を開いたかのように見えるペリーも犯行の具体的な内容については一切口を閉ざしたままであった。
 ある日,カポーティが面会で訪れると,ペリーは新聞で小説のタイトルが『冷血』であり,朗読会も開かれている真実を知っていた。カポーティが自分を裏切ってきた事実を理解した上で,犯行時の心理を吐露した。強盗に入った家の主人が脅えながらも,とても紳士的だったことで,自らを恥としたと語り,カポーティの裏切りに対し,信実をもって応えたのである。カポーティはペリーの語った「恥」の意味を身を持って知ることになった。
 カポーティはペリーの死刑執行直前に面会し,涙を流す。言葉では取り繕えても,感情が昂ぶり,どうしようもなく流れた涙であろう。その涙には一片の偽りもなかったと思われるのに,最期の瞬間までそばに居てほしいとペリーは「友人」として要求した。
 作家トルーマン・カポーティはペリーの『冷血』な誠意に殺されたのだ。ノンフィクション『冷血』はカポーティ最後の長編作品となった。

ranking
よろしければ1クリックお願いします

スポンサーサイト

シアワセを祈る必要もないほどに

 本日午後5時40分。茶屋町NUのエントランス前で偶然JURIぴょん発見。それもオトコと腕を組んで現れた。それまで家計のことで夫と口論していたのだが,もうそんなことはどうでもよくなって,とっさに後をつけると,オトコ「何か食べる?」JURIぴょん「まだ,お腹空いてなぁい」と甘え口調が聞こえてくるではないかー。どのクチが喋っとんねん!夫「JURIぴょん,脚ほっそー」私「シッ。声が大きい」こちらの警戒心とはウラハラに,JURIぴょんカップルは堂々とデートを楽しんでる。どちらかというとJURIぴょんが積極的。1階でアクセサリーを見ているときも,2階へ向かうエスカレーター,ブティック,片時も手を離さない。とうとう指を絡めてクニャクニャやり始めた。ものスゴイ虚無感に襲われて「もう帰るよッ」と私。怒り気味に帰路に着く。
「僕,握手会のときJURIぴょんにプロポーズして,まだ返事もらってないんだけど。」
「聞いてきたら。お忙しいところ申し訳ありませんがって」
「僕,あのオトコに勝ってるよね」
「背はあなたのほうが高いし,学歴もおそらく勝ってるでしょう。レベルの低い争いだけど,どれをとっても引き分けはあっても負けはないよ」
「ちくしょー。なら僕もJURIぴょんと……」
「あ,収入で負けてる」
「痛いトコ突くねー。毛の量と収入は負けてるかもな。それにしても,おじゃマンボウセンサーで言ってたけど,なにが一途な恋がしたいだよ。なにがまだ運命の人に出会っていないだよ」「でもさー,あれ見かけたヅカファン少なくないはずだよねえ」
「他人の目は気にしてない感じだったね」
「絡めあう指先にぬくもりを確かめ~♪by正塚晴彦」
JURIぴょん,末永くお幸せに。キラキラしてたなあ。
夫「今頃ガイチは一人で焼鳥食べてるよ。気の毒になってきちゃった」だそうです。

 今週末は『太陽』を岸和田ユナイテッドシネマにて,『ブロークン・フラワーズ』を京都みなみ会館にて鑑賞。『ブロークン・フラワーズ』はサントラを買うつもり。『太陽』はオススメしません。
ranking
よろしければ1クリックお願いします

トランスアメリカ  梅田ガーデンシネマにて

20060918150901.jpg

 実の親子だからとか家族だからとか血のつながりとか,そんなことには何の意味もない。たまたま親子という関係にあった人間同士が,様々な葛藤があるなかで,親が子に惜しみない愛情をそそぎ,子がその愛情に甘えながらも応えようとする,そういう過程を経てはじめて真の親子になりうるのではないのか。
 LAでひっそりと暮らすブリーは一週間後に男から女になる性転換手術を控えていた。そこへ過去に一度だけ女性と性交渉をもったときにできたと思われる彼女(ブリー)の息子トビーがNYの拘置所にいると連絡があった。無視を決め込もうとしたが,セラピストの助言により,しぶしぶNYへ向かったブリー。男娼をしながら,ドラッグも所持しているというトビーの保釈金を払い,自分は教会から派遣されたものだと息子に自己紹介する。そうして,ブリーは父親であることを隠したまま,父親と暮らすことを夢見るトビーとNYからLAへ向かう大陸横断の旅に出るのだが……。 
 ブリーは息子の存在は認めながらも,自分が『父親』であることはけして認めようとしない。ブリーの身体は男性であるが,心は女性であり,男性であった過去は葬り去りたいものでしかないからだ。トビーには父親であることを隠し通した。だが,旅を続けるなかで,ブリーとトビーはお互いの弱さを知り,それを愛しいものと受け止め,断ち難い絆を感じるようになる。ついに,トビーはその愛情をセックスという表現でブリーに求めた。トビーにとっては最も残酷な形で,ブリーは真実を告白しなければならなかった。受け入れがたい現実を目の前にしたトビーはブリーを殴り飛ばし,そして姿を消した。
 トビーの拳は哀しみに満ちていて,その拳を通して知った痛みが自分を偽り続けたブリーに,女の心を持ちながら男性として生まれてきた運命そのものを認めて生きていかなければならないという自覚と勇気を与えた。捜索を願い出た際,警察にトビーとの関係を問われ,彼女は一語一語噛み締めるように「I am his father」と答えたのである。
 ブリーはひとりLAに到着し,性転換手術を受けようとしていた。しかし,それはトビーの父親であることも消し去る手術。その手術によって,かけがえのない息子を永遠に失ってしまうのではないかという畏れを抱くブリー。そこで彼女を励ますように流れる曲『Like A Rose』"It's OK. You don't have to be afraid"優しく包み込むようなメロディーと歌詞が印象的。
 手術後,セラピストの前で「トビーが……」と言ったまま言葉が出ず,泣き崩れるブリーを私は胸が潰れるような思いで見ていた。けれど,過去も現在も含めて,ありのままの自分を肯定し,愛することを知ったブリーはしっかりと地に足をつけて人生を歩んでいく。
 ラストには,なんとも温かく飾らない父と息子の姿が描かれていた。過酷な道のりを経てやっと辿り着いた『親子』のあり方に心揺さぶられずにはいられない。

ranking
よろしければ1クリックお願いします

恋するトマト  第七芸術劇場にて

 可愛いタイトルとはウラハラに主演は大地康雄。第七芸術劇場はクーラーの効きが悪く,暑苦しい大地康雄の体臭までスクリーンから漂ってきそうなムード。
 茨城県で農業を営むマサオ(大地康雄)は45歳になっても結婚できないでいる。理由は女性が田舎暮らしと農業を毛嫌いするからということになっているが,大地康雄には問題はないのか。同じ条件でも大地でなくオダギリジョーだったら一考の余地があると思うんだけど。ハイ,農家が抱える深刻な問題を茶化すのはヤメます。
 私は大阪に住んでいますが,大阪のツタヤでは世紀の傑作とも謳われる『クライングゲーム』のDVDレンタルができないのだ。ビデオしか扱っていないという。怒りのあまり店員に詰め寄ると「東京ならレンタルしてるんですが……」とのこと。大阪という田舎に住んでいるおかげで,私はなけなしの金をはたいて4000円以上もするDVDを買うハメになった。
田舎暮らしもイヤだけど,ビンボーもイヤだなあ。

ranking
1クリックお願いしますだ

プルートで朝食を  テアトル梅田にて

 pluto

  観てよかったと心から思える映画。
 ニール・ジョーダン監督に恋した気分。
 詳しい感想は,また後日。
 レディースデイも近いです。ぜひ映画館に。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。